事務所からの補正案に、そのまま「OK」を出せますか
サポート要件違反の拒絶理由通知が届いて、特許事務所から補正案が返ってくる。開いてみると、請求項の成分がきれいに実施例の化合物まで絞り込まれている。
「まあ、審査官がそう言っているんだから仕方ないか」
……と、そのまま承認してしまった経験、ありませんか。私はあります。
念のため書いておくと、これは特許事務所を批判したいわけではありません。事務所は企業の事業計画や競合の動きを正確に把握しているわけではなく、あくまで「権利化すること」が仕事です。だとすれば、確実に通る範囲まで絞る提案が出てくるのは、立場としてはむしろ自然です。
問題は、こちら側が判断できるかどうかです。「この成分は絞ってもいい。でもこの成分は絞りたくない」と言えるかどうか。これを言うには、審査基準の条文を知っているだけでは足りません。
審査基準は「どこまで退くか」までは教えてくれない
サポート要件の条文と審査基準は、皆さんご存知のとおりです。
特許法第36条第6項第1号 特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。
審査基準では、請求項に係る発明が、発明の詳細な説明において「発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲」を超えるものであるか否かで判断される、と整理されています。
……と、ここまでは書いてあるのですが、「じゃあ、目の前のこの請求項をどこまで絞れば足りるのか」は、当然ながらどこにも書いていません。ここを埋められるのは、結局のところ他社の実例だけだと思っています。
反論のロジックは、大きく2種類しかない
整理のうえで一つ補助線を引くと、見通しがよくなります。
「審判実務者研究会報告書2025」では、サポート要件の立証ロジックが演繹的に導かれる場合と帰納的に導かれる場合の2つに整理されています。
【演繹的アプローチ】メカニズムで説明する 発明の原理から「他の成分でも同様の結果になるはずだ」と論理的に導く手法です。同報告書では、課題解決の認識を演繹的な推論で十分に説明しきれる場合であれば、実施例による裏付けは最低限1点(たとえば効果を発揮する上で最も不利な1点)が示されればよいのではないか、という点で意見が概ね一致したことが報告されています。
【帰納的アプローチ】データの積み上げで説明する 技術的な機序が必ずしも明らかでない場合に、「試してみたらこの範囲は全部効果があった」という実績で押していく手法です。化学分野の組成物・パラメータ発明は、機序の把握や効果の予測が困難なため、こちらになりやすいとされています。
つまり、審査官から「実施例まで絞れ」と言われたときの選択肢は、大きく**「理屈で守る」か「データのある範囲まで退く」か**の二択ということになります。
では実際の出願で、この二択はどう使い分けられているのか。対照的な2件を見てみます。
ケース1:ロート製薬 ── 主役はデータで守り、脇役は理屈で守る
特願2025-014250
発毛成分のミノキシジルは製剤中で着色しやすい、という課題に対し、特定のビタミン類やフェノール化合物の組み合わせで着色を抑えた、という発明です。
審査官の指摘
サポート要件と明確性の両方が指摘されました。「トコフェロール類」「パンテノール類」といった総称表現は範囲が一義的に把握できず、実施例のデータだけでは全範囲で着色抑制効果が得られるとは認められない、と。
さらに、任意成分である**「酸」**についても、実施例はクエン酸水和物しかないのだから、他の酸で課題解決できる根拠がない、と指摘されています。拒絶理由通知では、化合物が異なれば物理化学的性質も異なるのが技術常識であり、配合する酸の種類によって着色抑制効果が異なることも周知である、として引用文献まで示されました。
出願人の対応
ここが面白いところで、成分によって対応を変えています。
着色抑制に直接寄与する(B)成分・(D)成分については、実施例で効果が確認されている具体的な化合物(トコフェロール酢酸エステル、パンテノール等)へ素直に限定しました。ここは帰納です。
一方で、補助成分である「酸」の種類は上位概念のまま維持しました。意見書では、着色抑制の主眼はあくまで限定した(B)成分等の特定の化学構造による作用にあり、補助的に配合される酸の種類が変わったところでその主要なメカニズムが損なわれると考えるべき特段の事情はない、という趣旨の反論を展開しています。加えて、引用文献で必須とされていた「リン酸」でなくても着色を抑制できている事実を挙げ、酸の種類は関係がないと当業者が合理的に認識できるはずだ、と繋げています。
結果、記載要件の指摘は解消しました。
考察
「どの成分を事実(帰納)で処理し、どの成分を理屈(演繹)で守るか」の棲み分けが非常に参考になる事例だと思います。
主要な作用を担う成分をデータどおりに絞ることで審査官の疑義を素直に解消しつつ、周辺成分は「メカニズムに影響しない」という理屈を盾に広く残す。他社が酸の種類を変えるだけで回避できる権利にはしない、という意図が読み取れます。
事務所からの補正案が「全成分を実施例まで一律に絞る」ものだったとき、企業側から「(B)と(D)は仕方ないが、酸は残せないか」と言えるかどうか。ここが分かれ目ではないでしょうか。
ケース2:ファンケル ── 潔く退くという判断
特願2020-186437
鉄塩とアスコルビン酸ナトリウムを配合したサプリメントの、保存中の変色を抑えるという発明です。当初の請求項では(C)成分が「亜鉛化合物、マグネシウム化合物から選択される1以上」と広めに設定されていました。
対応
こちらは対照的に、実施例6で実際に変色抑制効果が実証されていた「酸化マグネシウム」へ潔く限定しています。意見書も、範囲を実証済みの成分に限定したので36条の指摘は解消した、と簡潔に述べるにとどめ、あわせて進歩性についても引用文献の「水溶性亜鉛」等とは用いる成分が異なることを指摘して処理しています。
考察
理屈(演繹)で成分範囲の妥当性を説明しきるのが難しい場面では、データのある範囲まで潔く退くのも有力な選択肢です。化学・食品分野は成分が少し変わるだけで効果が変動することが多く、無理な反論を重ねるより確実な範囲で早期に権利を取りにいく判断も、実務としては十分あり得ると思います。
なお本願は、他の拒絶理由を解消できず拒絶査定となっています。
結局、どちらを選ぶのか
2件を並べると、判断の分かれ目が見えてきます。
| ロート製薬 | ファンケル | |
|---|---|---|
| 主要成分 | 実施例まで限定(帰納) | 実施例まで限定(帰納) |
| 周辺成分 | 上位概念を維持(演繹) | 限定 |
| 演繹の根拠 | 「主要な作用機序に影響しない」 | (主張せず) |
ポイントは、その成分が課題解決のメカニズムの「主役」か「脇役」かを、自分で言語化できているかどうかだと思います。主役なら、データがない範囲を理屈で押し切るのは分が悪い。脇役なら、「機序に影響しない」と説明する余地がある。
そしてこの判断は、事務所より企業知財のほうが本来やりやすいはずです。発明者に直接聞けるからです。「この酸って、効果に効いてます? それとも pH 調整のために入れてるだけですか?」と一言確認できるかどうかで、残せる権利範囲が変わってきます。
裏を返せば、企業側が「どういう範囲で権利化を目指したいのか」「どういう背景事情があるのか」を丁寧に伝えないと、事務所は安全側に倒すしかありません。丸投げの怖さは、たぶんここにあります。
同じ視点で36条の反論類型を整理しました PR
今回はサポート要件のうち「上位概念への拡張」の類型だけを取り上げましたが、36条の拒絶理由はもっと幅があります。
- 数値範囲の広さを「最適化の範囲」と否定されたとき(小林製薬の紅麹事例/ポーラ化成の事例)
- 細胞試験のデータしかなく、生体内の効果を否定されたとき(東洋新薬の事例)
- パラメータと効果の相関性を突かれたとき(サントリーの事例)
- 官能評価の客観性を否定されたとき(伊藤園・トマト含有飲料事件)
- 「〜誘導体」「〜類」が範囲不明とされたとき(丸善製薬の事例)
- 「除くクレーム」を重ねすぎて不明確と言われたとき(小林製薬の事例)
- PBPクレームと認定されたとき(東洋新薬の事例)
- 実施例データの矛盾から「過度な試行錯誤」を指摘されたとき(伊藤園の失敗事例)
これらを、審査官の指摘・出願人の補正・意見書の主張・結末(拒絶査定に至った失敗例も含む)という形で1件ずつ整理したものを、noteで公開しています。書籍『特許事務所に丸投げしない!』のシリーズを、note版としてまとめ直したものです。
想定している使い方は3つです。
- 逆引き辞典として ── 拒絶理由が来たら、まず目次から似た論点を探す
- 事務所への指示出しのベースとして ── 「〇〇社の意見書のこのロジックで反論できないか検討してください」と一段解像度の高いディレクションをする
- 出願前の予防線として ── 「この広さで権利化するなら、このデータを追加で取っておきましょう」と発明者に先回りして言えるようにする
法律の解説書ではなく、意見書を書くときに横に置いておくカンペのつもりで作っています。
→ noteはこちら(メンバーシップは月額198円・初月無料。無料の中間対応DBもあわせてどうぞ)
マガジンでまとめ売りもしてます。単品購入よりもお得です。
体系的に読みたい方は書籍版もあります。 → 特許事務所に丸投げしない!(Amazon)
まとめ
- サポート要件の反論ロジックは、大きく「演繹(メカニズムで説明)」と「帰納(データで積み上げ)」の2種類
- ロート製薬の事例は、主要成分は帰納で絞り、周辺成分は演繹で守るという使い分けが参考になる
- ファンケルの事例のように、潔くデータのある範囲まで退く判断も実務上は有力
- 分かれ目は「その成分が課題解決の主役か脇役か」を言語化できているかどうか
- そしてそれを一番判断しやすい立場にいるのは、発明者に直接聞ける企業知財のはず
「実施例まで限定しましょう」と言われて反射的に頷く前に、ワンクッション置けるかどうか。その差が、数年後の権利範囲に効いてくるのだと思います。
免責事項 本記事はJ-PlatPat(特許情報プラットフォーム)の公開情報および特許庁公表資料をもとに、一実務者の視点から整理したものです。内容の正確性・完全性を保証するものではなく、本記事の利用によって生じたいかなる損害についても責任を負いかねます。実務への適用にあたっては、必ず原文および専門家へのご確認をお願いします。
出典:J-PlatPat https://www.j-platpat.inpit.go.jp/ / 特許・実用新案審査基準、審判実務者研究会報告書2025(特許庁)


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