こんにちは。
今回は、実際の特許出願を題材に「実施例の組み方」を見ていきます。
化学系の知財担当をしていると、開発から「この成果、特許にならない?」と相談を受けることがあります。先行技術調査をして、新規性が取れそうな範囲も見えてきた。じゃあ次は明細書だ——というところで、意外と悩むのが実施例です。
配合量を何点振ればいいのか。比較例に何を置けばいいのか。
特許法の条文には書いてありません。審査基準を読んでも出てきません。結局、過去の案件を思い出したり、他社の公報を漁ったりしながら決めることになります。
ということで今回は、他社の公報を漁ってみましょう。ポーラ化成工業の出願(特願2021-090458)です。
どんな発明か
ニコチン酸アミド(ナイアシンアミド)を含む水中油型乳化組成物です。
ナイアシンアミドは美容成分として広く使われていますが、配合量を増やすと使用感(べたつき)や乳化安定性に影響が出ます。この出願は、特定の乳化剤と組み合わせることでその課題を解決しようとしたものです。
請求項では、ニコチン酸アミドの含有量を**0.1〜5.4重量%**と限定していました。
さて、この「5.4」という数字。どうやって決めたのでしょうか。
実施例を数えてみる
明細書には実施例1〜16が並んでいます。なかなかの数です。
ところが、ニコチン酸アミドの配合量に注目して整理すると、こうなります。
| 配合量 | 該当する実施例 |
|---|---|
| 5.2重量% | 実施例1〜10、13〜16(14件) |
| 5.4重量% | 実施例11 |
| 0.01重量% | 実施例12 |
16件のうち14件が、5.2重量%で固定されていました。
では残りの14件は何を振っているかというと、乳化剤の種類や量です。つまり「ニコチン酸アミドを5.2%入れたときに、どの乳化剤を使うとうまくいくか」を検討したデータなんですね。
製品開発としては、まったく正しい実験です。処方を詰めるならそうします。
でも、請求項は「0.1〜5.4重量%」と配合量で限定しています。その範囲を裏付けるデータは、実質的に5.2%・5.4%・0.01%の3点しかないことになります。
審査官が見た「3点」
拒絶理由通知で、審査官はこの3点を並べました。
実施例1、実施例11、比較例1をみると、これらはニコチン酸アミド量が異なるだけであり、実施例1では5.2重量%、実施例11では5.4重量%、比較例1では5.6重量%である。
5.2% → 5.4% → 5.6% と、0.2ポイント刻み。細かく振っているように見えます。
問題は評価結果でした。
そしてその評価は、実施例1では乳化安定性、べたつき感、後肌のハリ感のいずれも◎であるのに対し、実施例11、比較例1はいずれも、乳化安定性が×、べたつき感が△、後肌のハリ感が◎となっている。
表にするとこうです。
| ニコチン酸アミド量 | 乳化安定性 | べたつき感 | 後肌のハリ感 | 位置づけ | |
|---|---|---|---|---|---|
| 実施例1 | 5.2重量% | ◎ | ◎ | ◎ | 範囲内 |
| 実施例11 | 5.4重量% | × | △ | ◎ | 範囲内 |
| 比較例1 | 5.6重量% | × | △ | ◎ | 範囲外 |
……お気づきでしょうか。
実施例11と比較例1、評価が完全に同じです。
それなのに、5.4%までは実施例(=課題を解決する範囲)、5.6%は比較例(=解決しない範囲)とされています。
審査官の指摘
当然、こう言われました。
請求項1は「水中油型乳化組成物」に関するものであり、乳化安定性がなければ製品として成り立たない。すると、どのような評価基準でもって実施例11が課題を解決するとして実施例とし、成分(A)の含有量が組成物の全量に対して0.1から5.4重量%である範囲で課題が解決するとしているのかについて理解することができない。
「乳化組成物なのに乳化安定性が×のものを、なぜ実施例と呼べるのか」
ぐうの音も出ません。この出願は拒絶査定となり、現在は審判請求中です。
何が起きていたのか
この事例、責める気にはなれません。実務でよくある構図だからです。
おそらく、こういう流れだったのではないでしょうか。
- 製品開発として、5.2%を軸に乳化剤を検討した(実施例1〜10、13〜16)
- 出願にあたり、権利範囲を少しでも広げたくなった
- 「5.4%でもハリ感は◎だし、範囲に入れておくか」と判断した
- 5.6%は明確に悪いので比較例にした
0.2ポイント広げたい、というだけの話です。
でもその0.2のために、「実施例と比較例の線引きが説明できない」という状態が生まれ、範囲全体の信頼性が失われました。
何が足りなかったか
整理すると、3つあります。
1. 効果が落ちる境界を挟んでいない
5.2%(全部◎)と5.4%(乳化安定性×)の間で、評価が急落しています。ということは、効果の閾値はこの区間のどこかにあるはずです。
ところが、その区間にデータ点がありません。 代わりに、すでに効果が落ちた後の領域(5.4%と5.6%)に2点も置いています。
5.3%あたりが1点でもあれば、「5.3%までは効果が維持される」と主張できたかもしれません。
2. 実施例と比較例の分類が、評価結果と合っていない
評価に忠実に線を引くなら、5.4%は比較例に分類すべきでした。データを取ってから範囲を後付けで決めると、こういう矛盾が起きます。
3. 実施例の「数」と、数値範囲の「裏付け」は別物
16件も実施例があるのに、配合量を振ったのは3点だけ。乳化剤のバリエーションをいくら増やしても、「なぜ5.4%までなのか」には答えられません。
逆に、うまくいっている例
対照的な例も挙げておきます。サンスターの口腔用組成物(特願2021-073594)です。
こちらはビタミンB6とグリチルリチン酸ジカリウムの質量比を、10点振っています。
| 質量比 | 効果 |
|---|---|
| 1:0.25 | 相加 |
| 1:1 | 相加 |
| 1:2 | 相乗 |
| 1:4 | 相乗 |
| 1:8 | 相乗 |
| 1:16 | 拮抗 |
| 1:32 | 拮抗 |
相乗効果が出るのは1:2〜1:8の3点だけ。その下側と上側の両方にデータがあります。効果が両端で消えることを示せているんですね。
そして請求項の範囲は「1:1.5〜8.5」。相加だった1:1と相乗だった1:2の中間を下限に、相乗だった1:8と拮抗だった1:16の間を上限にしています。
データで裏付けられた範囲のすぐ外側に、境界を置いている。 1:16が拮抗と分かっていながら、そこまで欲張っていません。
こちらは特許査定になっています。
まとめ
数値限定のクレームを書くとき、出願前に確認したいこと。
- クレームで限定した変数を、実際に振ったデータは何点あるか(実施例の総数ではなく)
- 効果が変化する境界の、内側と外側の両方にデータ点があるか
- 実施例と比較例の線引きは、評価結果と整合しているか
- その製品カテゴリで必須の特性(今回なら乳化安定性)が×のものを、実施例に入れていないか
特に最後の項目は、出願前に表を眺めるだけで気づけたはずのものです。
本にしました
この記事のような「他社の実施例を読み解く」作業を、化粧品・食品・サプリメント分野の15事例でやってみました。
権利化に成功した事例だけでなく、拒絶査定になった事例、無効審判で権利を失った事例も入れています。公報の実施例・比較例の表を実際に載せて、それが審査でどう評価されたかまで追いかける構成です。
扱っているのは、たとえばこんな論点です。
- 比較例を「先行技術に寄せる」べき場面と、そうでない場面
- 相乗効果を主張するために、試験設計の段階で組み込むべきデータ
- 上位概念でクレームを書くときに必要なデータの厚み
- 官能評価を明細書に載せるときの、評価基準の作り方
- 市販品が引用文献として使われる時代の備え方
出願番号と公報リンクは全部載せてあるので、手元で原本を開きながら読めます。
『特許事務所に丸投げしない! 実施例・比較例の組み立て方 〜化学・食品特許〜』
- ペーパーバック版:Amazonにて
- note版:部ごとに分けて公開(必要な章だけ読めます)
前作『特許事務所に丸投げしない! 〜拒絶理由通知を自力で読み解く、企業知財部の実務ケーススタディ備忘録〜』は拒絶理由通知が来た後の反論を扱っていましたが、今回はその前段階、出願前の設計がテーマです。
最後に、本書を書いていて一番はっきりしたことを書いておきます。
権利化できた明細書には、共通点がありました。
効かない条件のデータを持っていることです。
サンスターは1:16で拮抗することを示し、小林製薬は生姜を20重量部まで増やすと香りが落ちることを示し、ファンケルはカリウム塩を加えるとかえって変色が進むことを示していました。
「効きました」というデータだけでは、なぜその範囲なのか、なぜその成分なのかに答えられません。効かない領域を知っていることが、権利範囲の根拠になります。
そしてそのデータは、開発の過程で必ず出ているはずのものです。うまくいかなかった処方、条件を外した試験、ボツになった候補。
次に開発から相談を受けたとき、「うまくいかなかった条件はありますか」と聞いてみるといいかもしれません。


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