はじめに
令和8年(2026年)3月18日、特許庁より「『除くクレーム』とする補正に関する審査基準の改訂について」が公表されました。本稿では、この改訂内容と当ブログの過去記事で取り上げた具体的な特許事例を交え、今後の特許実務に与える影響について考察します。
これまでは許容されることもあった補正手法が、今後はどのように厳格に判断されるようになるのか、その境界線を整理します。
過去の実務:引用発明の実施例を点で抜く補正が認められていた事例
従来の実務において、除く補正(除くクレーム)は、新規性や進歩性の拒絶理由を形式的に回避する手段として機能する場面が少なくありませんでした。先行技術文献に記載された具体的な実施例(特定の組成物や数値など)をピンポイントで除外することで、特許査定に至ったケースが存在します。
当ブログの過去記事で取り上げた以下の事例は、その典型的な成功例といえます。
・特許第6243686号の事例
本願発明は、杜仲加工物および生姜科植物加工物を含有する経口組成物に関するものでした。審査段階において、同様の成分を含む漢方薬を記載した文献が引用され、拒絶理由が通知されました。これに対し出願人は、引用文献に記載されていた特定の漢方薬(生薬の茯苓、地黄などからなる鎮痛作用を有する漢方薬など)を除く補正を行いました。意見書において、引用文献は特定の生薬の組み合わせを必須成分としており、本願発明に想到する動機付けはなく、阻害要因がある、と論理的に主張し、進歩性が認められ特許査定となっています。
・特許第7424606号の事例
松樹皮抽出物と、セラミド含有米抽出物、及びセレン含有酵母から選ばれる少なくとも1種の素材とを含有することを特徴とする美容組成物という発明において、引用文献の商品である、セラミド及びコラーゲントリペプチドを含有する液体飲料などを除く補正を行いました。ここでも、引用文献の商品の基本コンセプトから特定の必須成分を含まないことには阻害要因があることを主張し、特許査定を得ています。
これらの事例に見られるように、これまでは引用文献にピンポイントで開示された特定の対象を特許請求の範囲から物理的に切り抜き、その上で意見書にて阻害要因等を主張することで、権利化を図ることがある程度可能でした。
厳格化の兆し:すでに現れている新規事項追加の判断
しかし、こうした、とりあえず引用文献の実施例を除外するという手法に対しては、審査の現場で既に厳しい目が向けられ始めています。当ブログの過去記事で取り上げた拒絶査定事例がそれを示しています。
・特願2024-192612の事例
出願人は、拒絶理由を解消するために、請求項1から特定の組成物(A)玉露茶葉及びハス胚芽エキスを含有する粉末茶、および(B)高麗人参エキスなどを含有する清涼飲料水を権利範囲から除外する補正を行いました。出願人としては、引用文献と重なる部分を除外したのだから、新たな技術的事項を導入するものではないという主張でした。
しかし、審査官は特許法第17条の2第3項に基づく新規事項の追加であると指摘しました(付記)。審査官は、上記(A)や(B)を除いたことによって特定される発明が、当初明細書に明示的に記載されていないし自明でもないと指摘した上で、単に引用文献に記載された事項との重なりを除いたものであるというだけでは、新たな技術的事項を導入しないことの説明にはならないと明言しました。
この事例から分かるように、単に、引用文献との重なりを除きました、と主張するだけでは、すでに審査官には通用しなくなっているという事実があります。
今回の審査基準改訂による影響:今後は何がダメになるのか
令和8年3月に公表された審査基準の改訂案は、上記のような厳格な判断基準を明確にルール化し、実務全体に適用するものです。改訂案のポイントを分析すると、以下のことが言えます。
① 技術的思想が異ならない場合の点の除外は認められない
改訂後の審査基準では、請求項に係る発明が、引用発明と技術的思想としては顕著に異なる発明ではなく、本来的に進歩性を有しないものである場合には、重なりを除いただけでは進歩性欠如は解消されず、新たな技術的事項を導入するものとして補正が許されないことが明確化されます。つまり、同じような組成物や用途であるにもかかわらず、引用文献の特定の数値や特定の成分構成だけを点で抜くという後知恵的な補正は、原則として許容されなくなります。
特許・実用新案審査基準 第IV部 第2章 新規事項を追加する補正
https://www.jpo.go.jp/resources/shingikai/sangyo-kouzou/shousai/kijun_wg/document/19-shiryou/003.pdf スライド6
3.3.1 特許請求の範囲の補正 (4)(i)
(i) 請求項に係る発明が引用発明とたまたま重なるために新規性等(第29条第1項第3号、第29条の2又は第39条)が否定されるおそれがある場合に、その重なりのみを除くことにより、請求項に係る発明と技術的思想として顕著に異なる発明を含まないことを明らかにする補正
この例における「技術的思想として顕著に異なる発明」とは、請求項に係る発明の範囲に文言上は含まれるものの、当業者であれば、本願の当初明細書等の全ての記載及び出願時の技術常識に照らして、出願当初から請求項に係る発明において技術的思想として含まれることが到底想定されないものであると理解できる程度に、請求項に係る発明との間で技術的思想が顕著に異なるものを想定している。
(説明)
この例においては、出願当初から請求項に係る発明において技術的思想として含まれることが到底想定されないと当業者であれば理解できるものを除いているため、補正前の明細書等から導かれる技術的事項に何らかの変更を生じさせるものとはいえない。したがって、このような補正は、新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかである。
② 出願人への説明責任の厳格化
除く補正が許容される典型例は、請求項に係る発明が、引用発明とたまたま重なるために新規性等が否定されるおそれがある場合に、その重なりのみを除くケースです。しかし今後は、出願人は意見書等において、本願の課題や出願時の技術常識等を考慮し、出願当初から請求項に係る発明において技術的思想として含まれることが到底想定されないと当業者が理解できるものを除いていることを具体的に説明する責任を負うことになります。
特許・実用新案審査基準 第IV部 第2章 新規事項を追加する補正
https://www.jpo.go.jp/resources/shingikai/sangyo-kouzou/shousai/kijun_wg/document/19-shiryou/003.pdf スライド7
3.3.1 特許請求の範囲の補正 (4)(i)
( (i) つづき)
(留意事項)
(1) 出願人は、この例に該当することを理由として「除くクレーム」とする補正をする場合には、その根拠の説明として、請求項に係る発明と引用発明の技術的思想が顕著に異なると単に主張するのみでは不十分であり、請求項に係る発明の課題や出願時の技術常識等を考慮すれば、出願当初から請求項に係る発明において技術的思想として含まれることが到底想定されないと当業者であれば理解できるものを除いていることを説明することが求められる。
今後の実務上の対策
本改訂を踏まえると、今後の特許実務において除く補正は、安易に使える魔法の杖ではなくなります。今後は以下の対応が求められます。
・「とりあえず除く」からの脱却
引用文献が提示された際、安易にその実施例だけを除外する補正を行うことは、新規事項追加の拒絶を招くリスクが高くなります。なぜその除外が、当初明細書等から導かれる技術的事項に新たな要素を付け加えることにならないのかを、意見書で論理的に説明しきらなければなりません。
・出願時の明細書ドラフティングの重要性
事後的な除く補正に頼らざるを得ない状況を避けるため、出願当初の明細書において、発明の技術的思想の境界線をあらかじめ明確に記載しておくことが、これまで以上に重要となります。
特許庁は、本質的な技術的貢献のない後知恵的な権利化を厳しく制限する方向へ舵を切っています。過去に認められていた手法が今後も通用するとは限らないという前提に立ち、明細書作成および中間対応の戦略をアップデートしていく必要があります。



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